富樫は、昭和42年(1967)に第2回フランス政府留学生選抜毎日美術コンクール(毎日新聞社、関西日仏学館主催)で大賞を受賞。
作品は、深く鋭利な切れ込みの連続が鮮やかな明暗の対象をつくり、あたらしいエネルギーを四方に放出している。自己のスタイルを確立し、年を経てさらに飛躍している様が作品に現れ、傑出して高い評価を得た。
結果、フランス政府給費留学生として昭和42年から翌年(1967~68)までパリに留学した パリではアトリエ17で、S、ウイリアム、ヘイターから版画を、フランス国立パリ美術学校コラマリーニ教室で彫刻を学んだ。
パリ滞在期間中にフランス政府賀状の原画コンクールにて大賞を受賞した。
黒い目を持つ日本人としての芸術活動をさらに深く追求し続ける強い確信を得られた非常に尊い貴重な経験となった。
留学中の富樫は、渡欧以来もっぱら版画の研究と創作に没頭しているが「彫刻は日本でいくらでもできるので、欧州滞在を最もみのりの多いものにするため、ここでは版画に打ち込む事にした」と語っている。